なぜSNSは分断を煽るのか?

もはや社会に不可欠のインフラになった感があるSNSだが、良いことばかりではない。とりわけ気になるのは社会の分断だ。

この記事は元々英語で書いたものだが、日本における分断はアメリカほどはひどくはないと思う。それでも、うっかりTwitter(X)で「おすすめ」を開いてしまうと、暗澹たる気持ちになることがある。

しかも、恐ろしいのは「こんなものを見ていてはいけない」と理性では分かっているのについついスクロールしてしまう中毒性だ。我々はすでに「アルゴリズムの奴隷」になってしまったのだろうか?

効率を最大化しようとすると分断を煽るのが一番ということになる

SNSは人を幸せにするために作られていない。まず大前提として、滞在時間を伸ばすことがビジネス上の正義だ。「エンゲージメント率を最大化する」と表現されることも多い。

広告でも、課金でも、クリエイターエコノミーでも、「とにかく離脱させない」ことが利益に直結する。

そしてアルゴリズムは、最適化の過程で一つの結論にたどり着いた。

人間を画面に貼りつけるのは、冷静な情報より、強い感情だ。
怒り、不安、嘲笑、「俺たちvsあいつら」という敵味方の物語。
「許せない」「ありえない」「こいつらが悪い」——そういう投稿ほど、伸びる。

結果、タイムラインはそれぞれに最適化された「部屋」になる。同じ意見が反響し合い、異なる意見は見えにくくなる。反対側は「人間ではない何か」に見えてくる。いわゆるエコーチャンバー現象というやつだ。

これは机上の空論ではない。国連人権理事会が設置した『ミャンマー独立国際事実調査団(IIFFMM)』は2018年の報告書で、ロヒンギャ迫害におけるソーシャルメディアの影響を「重大」と位置づけたうえで、Facebookは憎悪を拡散したい者にとって「有用な道具(a useful instrument)」になったと明記している(A/HRC/39/64, para. 74)。さらに同段落で、Facebookの対応は「遅く」「効果的でなかった」とも述べ、投稿やメッセージが現実の差別・暴力にどの程度つながったかは独立に検証されるべきだとしている。

じゃあどうする? ソルーションを考える。

分断の修復を「ユーザーの良心」だけに頼るのは無理がある。SNSというのは要するに、「世界で最も優秀な人たちを集めて作った合法的な麻薬」のようなもので、すでに人類の大半を中毒状態にしている。

仕組みが人間の本能に最適化されている以上、個人の努力で勝てるはずがない。中には強い意思を持ってデジタル・デトックスを敢行する人もいるだろうが、大多数の一般人には不可能だ。

現実的にやるなら、次の三つをセットで進めるしかない。

1) SNSは「安全設計」がデフォルトであるべき

まず、ユーザーに“戦わせない”設計が必要だ。

例えば、投稿時のクールダウン(冷却時間)

明らかに感情が昂った文面のとき、いきなり投稿できないようにする。30秒〜60秒待たせて、「この内容で投稿しますか?」と確認を挟む。

地味だけど効く。理由は脳の仕組みにある。

ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンは、人間の思考をざっくり二系統に分けた。

  • システム1:速い。反射で動く。感情的。
  • システム2:遅い。考える。論理的。

今のSNSは、システム1を刺激する遊具みたいなものだ。
怒りの見出しを見た瞬間に「拡散」。相手を叩く快感。仲間からのいいね。
全部、衝動側に最適化されている。

クールダウンは、強制的にシステム2を呼び出す小さな装置になる。
「本当にそれ言う?」「その後どうなる?」を考える余白を作る。

2) 「道路交通法」みたいな規制が必要になる

こういう改善は、残念ながら自主的には起きにくい。
なぜなら、今の仕組みが儲かるからだ。

だから規制が要る。車に安全基準があるように、食品に表示義務があるように、デジタル空間にも最低限のルールが必要だ。

  • クールダウンや拡散抑制の仕組み
  • アルゴリズムの説明責任(透明性)
  • 社会的被害に対する責任の所在

ここでよく出る反論は「検閲だろ」だけど、論点はそこではない。
言論を封じるというより、危険物を拡声器で増幅する設計を野放しにしない、という話だ。公共空間の安全設計に近い。右左にかかわらず、「感情的な投稿を拡散することが最適解にならないようにする」必要がある。

3) ファクトチェックより先に「ビジネスモデル」を教える

自主的にファクトチェックしてから投稿する——なんてことは起こらない。求めるべきは、もっと土台のリテラシーだ。

無料のサービスでは、あなたは顧客じゃない。商品はあなたの注意力だ。

この一文が腹落ちすると、タイムラインの見え方が変わる。

怒りや対立が多いのは、世界が地獄だからというより、 怒りと対立が“注意を集める”からだ。アルゴリズムはあなたを賢くするためではなく、依存させるために存在している。

そしてこの教育は「更新」される必要がある。広告モデル、サブスク、投げ銭、クリエイター囲い込み…仕組みが変われば誘導の仕方も変わる。でも「何がインセンティブか」を読む力がつけば、だいぶ耐性がつく。

ソルーションを提示しても実現しない理由

ここで話が暗くなる。

法律を作る側、つまり政治家が、この仕組みの受益者でもあるのだ。

SNSの分断は、選挙に強い。怒りは動員できる。敵を作れば団結する。寄付も集まる。支持者の熱量も上がる。

その波に乗って勝った政治家が、
「よし、この武器を手放そう」と言うだろうか?

結果として、「ビッグテック批判」は安全だけど、「本気で仕組みを変える提案」は政治的にリスクが高い。だから停滞する。

最悪の起爆剤

では膠着を破るものは何か。

皮肉だけど、もっとも現実味があるのは大きな危機だ。

ロヒンギャ迫害のような惨事が起きても、世界は本気で変わらなかった。
遠い国の出来事として処理されてしまったからだ。

変化を強制するのは、おそらく「自分たちの側」で起きる出来事だ。しかも、言い逃れできない形で。政治的暴力、テロ、大量殺人、内戦の兆候…そんなレベルの衝撃。そういうことが先進国、とりわけ巨大テック企業の本場であるアメリカで起こらない限り抜本的な変革は期待できないかもしれない。

ただし、ここにも恐ろしい落とし穴がある。危機が来ても、団結するとは限らない。むしろ「左のせいだ!」「右のせいだ!」という方向に流れ、社会がさらに暗い形に変質する可能性もある。

結論:今のうちにやれることをやる

私たちが望むのは一つだ。惨事が起きる前に、仕組みを変えること。

でも、現実はあまり優しくない。分断を直す動機が、私たち社会で起きた悲劇になる——そんな未来は想像したくない。

そして最悪なのは、その悲劇が「和解」ではなく「決定的な分裂」の口実になってしまうことだ。

だからこそ、SNSが実社会での組織的暴力と密接に繋がってしまう前に、 設計、規制、教育をセットで進める必要がある。

日本ではアメリカほど分断が進んでいない。銃も普及していないので「内戦」の心配はあまりないだろう。

しかし、一方でSNSを運営している企業がアメリカに偏っているので、日本単独でどこまで影響力を発揮できるか、疑問がある。

SNSの社会への影響を憂慮する他の国々と連携して動くべきだろう。